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世界の宗教と戦争講座 ⑤
2007年 01月 17日
終わりにしたはずのこのシリーズだけど、ある人から「日本人にとって最も馴染みのある仏教を書かないでどうする!」というクレームがあったので、もう一回だけ書くことにした。 過去分はこちら: ①和の精神、②ユダヤ教、③キリスト教、④イスラム教 5.仏教 仏教の特徴は、根拠教典が無いことである。確かに、「イスラム教は恐い、仏教は穏やか」という漠然としたイメージを持っていた。 これは学校教育の影響も大いにあると思うけど、あながち間違いでは無いと思う。 仏教は釈迦(ゴーダマ・シッダルタ)が開祖であるが、彼は他の宗教のようにこと細かくやるべきことを記さなかった。これは先日書いた「和の精神」と同じ。 仏教を大きく二つに分けると、上座部(小乗)仏教と大乗仏教に分かれる。この思想はどこかで聞いたことがある気が・・・、キリスト教と同じじゃないか。 やはり、人間は易きに付くんだねえ。 そして、日本的な仏教のベースとなっているのが、親鸞による浄土真宗である。統一的な教典を持つ宗教の人から見れば、確かに日本の仏教は宗教に見えないだろう。 このような統一性の無さが柔軟性につながり争いを起こさずに済んできたんだろうから、個人的には「別にいいんじゃない」と思うけど、他国から見れば「ポリシーの無さ」と見えるのかもしれない。 その後、徳川家康が檀家制度をつくり、日本人は必ずどこかのお寺(宗派)の信者になることを求めた。ここでも易きに付く日本人の姿が・・・離婚したいがために新しい宗派(英国国教会)を作ったイギリスの王様と同じだな。 僕が以前住んでいたところでは、坊さんがくわえタバコで原チャリに乗っている姿をよく見かけたし、バイトしていた居酒屋では頻繁に坊さんが飲んだくれていた。 坊さんに対しては「高貴、清貧、質実」といったイメージを期待してしまうんだけど、こうした歴史を踏まえれば、そんなことを期待するのは酷なようだ。 日本人は「霊」の存在を信じており、「死んだ人の悪口を言ってはいけない」というのも霊の存在を意識してのことである。へえー、そうなんだ。 僕を含めてこういう背景を知らない人が多いから、無知につけ込んで商売する葬儀ビジネスが成立するんだろう。 葬儀と言えば、過去に読んだ本の中で葬儀屋を悪く書いているものはあっても、肯定的に書いているものは殆ど無かった気がする。 人の悲しみにつけ込んで5百万円の葬儀契約を結ばされるとか、僧侶へのお布施の一部は葬儀屋に流れている場合もあるという話は本当らしいし、戒名はパソコンソフトで作成しているといった噂まである。 ある本によれば、病院と葬儀屋は結託していて、葬儀屋は病院スタッフを頻繁に接待する見返りに、病院で患者が死亡した際はすぐにその葬儀屋へ連絡するように依頼しているらしい。 先日、リリー・フランキー氏の「東京タワー」を読んでいたら、霊安室にいつの間にか葬儀屋が紛れ込んでいて、基本料金にオプションやら何やらを追加されて、結局高額を支払うことになったと書いてあった。 遺族にしてみれば、高額な葬儀プランを勧められながら安いプランを選択すると死者に失礼、みたいな考え方に行きついてしまうのかもしれない。 でも、僕は霊の存在は全く信じないし、こういうセコイ葬儀ビジネスはキリスト教の免罪符と同じような気がして加担するのは嫌だから、少なくとも僕が死んだときは最低料金の葬儀プランにしてもらおうと思っている。(←気が早い。。) なお、参入障壁の高い葬儀ビジネスにも外資の波は押し寄せており、ムダをカットした明朗会計をモットーとする外資系の葬儀屋もあるらしい。 仏教の非暴力主義を貫いているのがチベットである。作者の中国嫌いが顕著に表れている部分なのでなるべく中立的な表現を使ったけど、書いている内容はその通りだと思う。 米国を始めとして中国の人権無視を非難する国はあるけど、現在の驚異的な経済成長を考えると、そこまで強い批判は出来ないんだろう。 一方、多くの国が本音では中華思想を嫌っているようなので、現在の経済成長がストップした際は各国による中国批判が強まるのではないかと思う。 また、敬虔な仏教徒であるがゆえに中国の侵略を許したとすれば、現代社会における仏教の不完全性と見る事もできるだろう。 本来は日本を含めた他国が中国を牽制すべきなんだろうけど、上記の通り難しいのも良く分かる。 * * * * * * * 日本の仏教は特殊だということが良く分かった。 「和の精神」は宗教に基づいているわけでは無いらしいけど、やはり仏教も日本人の価値観に少なからず影響を与えている気がする。 「宗教を信じないのであれば、何を拠り所(価値観)にして行動しているのか分からない」と考えているアメリカ人がいる事はキリスト教のところで書いたけど、日本人には宗教とは関係ない道徳・倫理観みたいなものがあると言われている。 例えば、チップという金銭的なインセンティブが無くても全ての顧客に愛想良く対応すべし、というのは欧米には無い思想であり、これを支えているのは仏教とは関係ない道徳・倫理観だと思う。 このことをアメリカ人クラスメートに話したら、「そりゃ理想的だね、アメリカでは絶対にありえない」と言っていた。 尤も、その道徳・倫理観が最近では崩壊してきているという意見も多数あるけど。 また、僕は何の宗教も信じていないけど、最も馴染みがあり身近な宗教は仏教であり、他の宗教に比べると「理解しやすい、どこか安心」と感じるのは日本人として自然なのかもしれない。 一方、他の宗教(特にイスラム教)に基づく考え・行動は日本人にとって理解しがたいかもしれないが、これを非難するのではなく、それぞれの宗教に基づく思想・価値観の中で育った人であればそのような言動に結びつくのが当然である、という理解をする努力が必要だろう。 以上、「世界の宗教と戦争講座」はこれにて(本当に)おしまい。
by nycyn
| 2007-01-17 15:26
| 雑感
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