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2007年 07月 16日
今日は何と言っても暑かった。 気温が何度だったか知らないけど午前9時半の時点で日差しがヤバイ感じで、湿度も高め。 後半には僕らより先にプレーしていた何組かが途中で帰ったらしく急にプレーの進行が早くなり、プレー終了後にクラブハウス周辺に行くと、いつもは混雑しているのに今日はゴーストタウンのようにガラガラだった。 そんな中、僕ら8人も後半は全員バテバテになり、体調不良により途中で帰るメンバーまで出てしまった。。。 天候のせいにするわけじゃないけど、ゴルフのキレは気温と反比例。 前半はまあまあで45、90くらいであがれるかなと思って臨んだ後半、体力の消耗とともに集中力が無くなり屈辱の57、トータルは102・・・ 情け無いっす。 ところで、最近ゴルフ場にいる鳥(カモ?)の数が異常に増えた気がする。 普段はいないはずのコースにも進出してきていて、ほぼ全ホールでカモを見た気がする。 しかも、奴らは人馴れしているので追い払おうと思っても全然逃げない。 トップしてカモが慌てるのを見るのも楽しいかな、と意地悪なことを考えながら打ったら、そんな時に限ってフワリと上げてピタリと止まる絶妙のアプローチが打てたりする。 最近のゴルフ熱が冷める気配は無く、更なる失笑が聞こえてきそうだけど、実は昨日アイアンセットを買ってしまった。 これまでは10年くらい前に何も考えずに買ったアイアンを使っていたんだけど、僕のスイングスピードでグラファイトシャフトのアイアンを使うと曲がる確率が高くなるよ、と複数の人から言われていた。 そこで、スチールシャフトで自分に合ったクラブに替えようとゴルフショップへ行き、併設されている打ちっぱなしで5種類のアイアンを打ち比べた結果、こいつに決めた。 まだ十分に慣れていないけど、そのうちスコア改善に貢献してくれると期待している。 そのためには練習しなきゃな・・・ ということで、ゴルフシリーズはまだ続きます。 #
by nycyn
| 2007-07-16 09:19
| NYライフ
2007年 07月 14日
同じ事をするにしても、人によってそれが何でもないことだったり面倒なことだったりする。 例を挙げてみよう。 新入社員だった頃、宴席である人から「人のコップにビールを注ぐ時はラベルが上になるようにビンを持ちなさい」と言われた。 そんな事を気にする人がいるの?「わざわざ」そんな事をしなくてもいいじゃん、と思った。 同じような印象を持つ人は少なくないだろう。 「わざわざ」と思うかどうかは個人差がある。 これを僕は「わざわざ感」とか「わざわざレベル」と勝手に呼んでいる。 この例で言えば、最初は「アホか」と思っていたけど、気づいたら自然にラベルを上に向けて持つようになっていた。 最初は「わざわざ」と思っていたけど、次第にそうは思わなくなった。 また、他の人がビールを注いでいるのを見ると、ラベルが上になるようにしている人が世間には結構いることにも気がつくようになった。 友達と飲んでいる時とかは敢えてラベルを下にして持ったりもするけど。 この手の話に正しい・正しくないという議論は相応しくないと思うけど、僕の場合、わざわざと感じずに出来ることならやった方がいいかも、それをすることで10人に1人でも喜ぶのであれば、1件でも多くの契約に結びつくならやってみようかな、という気持ちになる。 はさみやナイフを人に渡す時に刃を相手に向けないようにすることをわざわざと感じる人は殆どいないと思うけど、何事も習慣になってしまえばこれと同じことだ。 逆に、そんなショーモナイ事はやりたくない・気にしない、そんな事はどうでもいいので自分は本業で勝負する、と思う人も少なくないだろう。 こういう人はわざわざという気持ちを拭おうという気になれない、或いは人の指摘に素直になれない人なので、無理してやることは無いだろう。 僕だったら、それをすることで本業に悪影響があるわけじゃなし、気持ちの持ちようでわざわざなんてすぐに消える、呼吸をするのと同じ感覚になるんだからやればいいのに、と思うけど、前述の通り個人差があって然るべきだと思う。 このような例は身の周りにいくらでもある。 ・電話を切る時に受話器をガチャンと置かない ・人の机に物を置く時は音を立てないように置く ・朝出社してすぐの人にいきなり仕事の話をしない ・人のパソコン画面や写真を触る時にベタベタと指紋をつけない 自分が気にしない事でも、「世の中には気にする人がいる」という気持ちになれるかどうかで対応が分かれるだろう。 もう少し実務的な例。 日本にいる頃は資料を使って説明や説得をする事が多かったんだけど、僕は相手の目が資料のどこに向けられているかを随時確認するようにしていた。 前半の導入部分、僕にとっては当たり前の内容でも相手には馴染みの無い内容だったりすると、その人の目は導入部分で止まったり不安そうな目になったりしがちだ。 アメリカ人だと分からないことがあればすぐに説明を遮って質問してくるけど日本人はそうしない人が多いので、相手の理解度を確認せずに自分のペースで説明を進めてしまうと、説明する側にもされる側にもいい事はない。 これを後輩に話した時、わざわざそんな事をしなきゃいけないんですか、と言われた。 いいえ、しなきゃ「いけない」ことは無いけどした方がいいよ、と思っただけ。 嫌ならやらなくて結構、あんたが説明下手な人間になっても別に困らないからね。 もちろん、モノには限度がある。 僕の価値観に照らして過剰だと思うこと、負担感を感じること、著しく効率性を損なうこと、敢えてやりたくないことは、「気にする人がいる」ことは分かっていてもやらない。 メールを送ったら相手が読んだかどうか全件電話して確認しろ、とか、昼食の前にスケジューラーを見て偉い人が一人で昼食を取る事にならないか確認しろ、と言われたことがあるけど、そんな事は余程のことが無い限りやらない。 これをやっている人から見れば「それくらいやればいいのに」と思うだろうけど、僕にはそうは思えない。 こういう話は極めて日本的で、ほとんどのアメリカ人には通用しない。 「人にぶつからないように歩く」とか「混雑した公共の場では騒がない・暴れない」といったレベルのことも、わざわざと感じるアメリカ人が結構いる。 前述の「メール開封確認の電話をしろ」と言った人からすれば、僕のことを同じように思っているんだろう。 決してプライオリティではないけれど、出来ればわざわざ感の近い人と仕事をしていたい。 #
by nycyn
| 2007-07-14 12:17
| 雑感
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