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ニューヨークの生活、MBA、仕事・・・
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カテゴリ:雑感( 76 )
格闘技は大丈夫か?

スポーツ報知にこんな記事があった。(以下は抜粋)

PRIDE身売り…UFCが十数億円で買収
総合格闘技イベントの「PRIDE」が、米最大の総合格闘技団体「UFC」に十数億円で買収されていたことが23日、複数の関係者の話で明らかになった。関係者によれば、会見ではUFCとPRIDEの「提携」が発表されるようだが、実質的にはUFCに完全に吸収されるという。DSEは事実上清算され、UFC直系の新会社が設立される見込みという。「PRIDE」の看板が消滅するかどうかは不明だが、4月8日の「PRIDE34」(さいたまスーパーアリーナ)がDSE主催の最後の興行になりそうだ。

格闘技の世界にも買収の波が来たのか?(記事の信憑性は不明)
渡米する前の日本は大晦日に格闘技を3番組も放送するなど格闘技が盛り上がっていた気がするんだけど、最近は下火になってきたのかな。

格闘技好きな日本の友達はPRIDEがスカパーでしか放送されなくなったので見られなかったり、見られたとしてもかなり時間がたってから誰かが録画したものを借りたりしているらしい。
でも、僕はNYにいるので放送から3日後くらいにはレンタルビデオ屋で借りて見る事が出来るし、ケーブルテレビのPPVで試合の数時間後に見る事も出来る(PPVは35ドルとバカ高いけど)。
何か変だよね、これ。

格闘技ファンとしては、PRIDEでもどこの団体でもいいから、あまりお金を払わずに面白い試合が見られるようにして欲しい。


同じスポーツ報知には「ヒョードルが米国の団体ボードッグと長期契約を結んだ」という記事もあった。
地下鉄のタイムズスクエア駅で数十メートルに亘ってポスター(下の写真、左がヒョードル)が貼られていて何だろうと思っていたら、そういうことだったのね。
記事には「ボードッグとの契約が24日明らかになった」と書いてあるけど、21日に撮った下の写真には既にボードッグ・ファイトの文字が。
日本のマスコミもおこぼれ記事を拾うだけじゃなくて、ちゃんと取材しようね。


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by nycyn | 2007-03-26 08:51 | 雑感
カメラとわたし

最近カメラについてメールやコメント欄でいくつか質問をいただいたので、カメラについてちょくちょく聞かれることを書いてみることにした。


1.写真歴

初めてカメラを買ったのは大学の時で、それ以前は使い捨てカメラを含めて写真を撮ったことは殆ど無かった。
当時、デジカメは存在していたけどそこまで普及していなかったので、買ったのは小さいだけが取柄のフィルムカメラ。
しかし、その後も旅行以外でこのカメラを使うことはなく、年にフィルム1~2本分を撮る程度しか使っていなかった。

初めてデジカメを買ったのは渡米直前で、CasioのExilimというこれまた小さいこと(だけ)が取柄のやつ。
NYは刺激的な風景が多いので写真を沢山撮るだろう、という気持ちで買ったものの、そもそも写真に興味があったわけではないので、渡米直後に少しと旅行の時くらいしか使っていなかった。

写真を沢山撮るようになったのはブログを始めた1年前から。
文章は大したものが書けないので写真でもあれば見てくれる人がいるかな、というのがブログに写真を載せ始めた動機。
ただ、それまで写真について考えたこともなかったのでどうやって撮ってよいものか分からず、テキトーに目に入ったものを沢山撮っていただけ。
その後、写真上手な方のブログを見始めたことから「その方がどういう意図を持ってこの写真を撮ったのか」を考えるようになり、自分で写真を撮る時も「どういう構図にしたら良いか」と考えるようになった。

ということで、人様に写真について語れる写真歴も技術もないので、あくまで素人の戯言だと思って参考にしていただければ。


2.コンパクトデジカメ

使っているのはパナソニックのFX01というやつで既に生産は終了しており、価格コムで見ると今は22000円程度で買えるらしい。
600万画素、手ブレ補正、液晶がきれい、という特徴の他、35mm判換算で28mmというコンパクトにしては広角のレンズが購入の決め手だった。
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このカメラは小さくて軽いので常にカバンかポケットに入れて持ち歩き、「おっ」と思うモノを見つける度に撮っている。
他のカメラと比べて特に目立った特長があるわけでは無いけど、逆に大きな不満があるわけでもないので、今のところは満足している。
ただ、CCDか何かにホコリが付着しているのか何なのか、ズームを使うと黒いシミのようなものが写ってしまい青空とかを撮ると目立つので、そこだけが現時点の不満材料。
ズームを使わなければ問題ないからいいんだけど。

画質は人によって好みが分かれるけど、イクシとかと比べると色は鮮やか、シャープネスは強めで、一般的に「素人ウケする」と言われている。
ブログに載せている写真も殆どはこのカメラで撮ったもので、こういう画質が好きな人がイクシを買うとがっかりするかもしれない。
写真ソフトを使えばある程度の修正は可能だけどね。

今は各メーカーが年に何回もモデルチェンジをして買い換えを促進しているけど、ブログに載せる写真は画質を落としているので600万画素でも1000万画素でも差は無い。
世間では画素数が多ければ多いほど良いという風潮がある気がするけど、A4サイズなど大きな紙に印刷したり大きな画面のパソコンで見たりしない限り1000万画素も必要ない。
だから、既に500万画素程度のデジカメを持っている人が「画素数の多いデジカメに買い換えればきれいな写真が撮れる」という理由(思い込み?)でデジカメを買い換えるのはあまり意味が無いと思う。
逆に、「今とは違う画質の写真を撮りたい」「広角で撮りたい」といった理由や、持っているデジカメが3年以上前のものだという人は買い換える意味があると思う。


3.デジタル一眼レフ

ブログには書いていなかったけど、実は2月中旬に一眼レフを購入した。
と言っても、忙しかったのと外が寒かったので2月は殆ど使っておらず、先日のアルゼンチンで初めて本格的に使った。
アルゼンチンのスライドショーに載せた写真のうち、半分くらいはこの一眼レフで撮ったもの。

買ったのはニコンのD80
もともとオタク体質な僕は、一眼レフ購入にあたって徹底的に調べまくった。
各社が出しているモデルの特徴を細かく把握、強み弱みを整理し、画像比較サイトで画質も細かくチェックしたし、大きな電気屋で各社のモデルを触って感触を確かめた。
その結果、歴史と信頼性、画質、拡張性、ホールド感の観点から総合的に最も優れていると思えたD80を購入。
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購入にあたって最後まで悩んだのが手ブレ補正機能の有無で、D80を含めたニコンの一眼レフには手ブレ補正が付いていない。
それでもD80にした理由は、一眼レフで夜景を撮る時などは三脚を使うだろうから手ブレ補正に頼る場面は少ないだろう、というもの。
しかしこの考え方は手ブレ補正機能があるコンパクトしか使ったことの無い人(←僕)ならではの甘い考え方で、コンパクトで写真を撮る時はシャッタースピードが1/8秒までなら三脚無しで撮れるのに、D80だと1/15秒のシャッタースピードでもブレることがある。
ということは、今まで三脚無しでも撮れていた薄暗い店内などで写真を撮るのは難しい。
やってしもうた、と思ったりもしたけど、一方でD80は感度(ISO)を高くしても画質の劣化が少なく、ISO1000程度の撮影なら肉眼で見る限り問題ないので、ブレないシャッタースピードになるまでISOを上げていけば余程暗い場所じゃない限り三脚無しでも撮れることに気がついた。(僕のコンパクトのISO1000の写真は見れたモンじゃない。)
ということで、手ブレ補正機能が付いているに越した事はないけど、付いていなくても高感度撮影の画質が良いカメラなら「ある程度」はカバーできると思う。


で、念願の一眼レフを手に入れたことできれいな写真が沢山撮れるようになったか、と言うと「Yes and No」(←仕事の相手がよく使うフレーズ)。
パソコンの画面(17インチ)いっぱいの大きさにして比べれば明らかに一眼レフの方が細部のキメが細かく、きれいに見える。
しかし、ブログに載せる大きさに写真を圧縮して比較するとほとんど差は無い、と言うか、多少の差はあるけど、どっちが良いと思うかは趣味の問題。
2/12以降、ちょくちょく一眼レフで撮影した写真をブログにアップしているけど誰からも突っ込まれていないので、恐らく殆どの人が気づかなかったんだろうし、この大きさの写真に限って言えばその程度の差なんだと思う。

↓どっちが一眼レフで撮った写真でしょう?(分かりにくくするために色を似せています笑)
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じゃあ一眼レフを買って不満かと言えばそんなことは無く、僕はかなり満足している。
いくつかポイントを挙げると、ピント合わせが細かくできる、背景をぼかしやすい、ズームが手動なので速い、コンパクトでは出来なかったシャッタースピード・F値・ISOなどの細かな設定により好みの写真が撮れる、など。
そして何よりも、「写真を撮っている」という感覚に浸れるのが嬉しい。
心配なのはどんどん欲が出てきていて、まだ完全に使いこなせていないにもかかわらず新しいレンズが欲しくなってきていること。
こだわりだすとキリが無いので、ほどほどにしようとは思っているけど。


なお、一般的に「一眼レフを買えばきれいな写真が撮れるようになる」と考えられていると思うけど、これはある程度は正しいと思う一方、過剰な期待をするとがっかりする結果になりかねない。(満足度=期待-実績)
前述の通り、コンパクトと一眼レフには画質に差があるけど、「ブログ用の写真」に限って言えば一眼レフを購入しても画質の差は「好みの差」程度でしか無い。
一眼レフは背景をぼかした写真を撮りやすいと言われているけど、コンパクトでもマクロ機能を使えば下の写真のようにある程度は可能だし、ピント合わせが細かく出来る一方でちょっとでもずれるとピンボケの写真になるので、動いているものを撮る時などは失敗しやすい。

↓コンパクトで撮影
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だからプロの人ならともかく、少なくとも僕のレベル程度の人が使うなら一眼レフの良さの多くは自己満足的なものであり、一眼レフを買うことで画質自体が「劇的に」改善するわけじゃない。
仮に一眼レフを買っても「オート」(細かな設定をカメラ任せにする)モードでしか使わないのであれば、一眼レフを買う意味はあまり無いと思う。

だからと言って「一眼レフは買うべきじゃない」なんてことを言うつもりはなく、一眼レフに対して過剰に期待してがっかりする人がいたら気の毒だな、と思うだけ。
逆に、コンパクトに比べてずっと大きい・重い・高いというデメリットを考慮しても、シャッタースピード・F値・ISOを調整して楽しみたい、レンズを交換して色々な写真を撮りたい、大きく印刷したい、という人は是非とも一眼レフを買うべきだと思う。
上にも書いた通り、僕も一眼レフを買って本当に良かったと思っている。


以上、使っているカメラの紹介でした。
会社や学校に行く時は一眼レフは持って行けないので今もコンパクトで撮影することが多いけど、時間を見つけて一眼レフで撮影する機会を増やしていきたいと思う。


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by nycyn | 2007-03-21 13:15 | 雑感
いちご

東京鋼鐵の臨時株主総会で同社が大阪製鉄の傘下入りする議案が否決された。
仕事上は日本のニュースをチェックする必要があまり無いこともあって既に否決されたとは知らず、今日のウォールストリートジャーナルを読んで初めて気が付いた。

ご存知ない方のために簡単に経緯を説明すると、東京鋼鐵は大阪製鉄の完全子会社となることを発表していたが、同社が子会社となる際に既存株主に対して支払う対価(株式交換比率)が実態より安すぎるということでクレームがつき、2/22の株主総会でその是非を問う投票が行われた結果、買収決議に必要な票数を集められなかったというもの。
これまで日本では会社側が提案する議案を株主が黙認するケースが多かったが、今回は米国人であるキャロン氏率いる投資会社が会社提案に対して否決するよう既存株主に呼びかけ、その甲斐あって今回の否決につながった。

ウォールストリートジャーナルでは「アメリカ人の勝利」という見出しでこの件を紹介し、本件の経緯や日本経済界の非効率性、買収阻止の主役キャロン氏についても詳しく述べていて面白い。(記事は一番下)
東京鋼鐵には三井物産という大株主が存在するが、今回は多くの個人株主がキャロン氏の主導のもと否決側にまわったため、これまで発言力の弱かった個人株主が今後は経営に影響を与えるようになり、会社側も個人株主を重視した経営を行う必要に迫られると、している。

記事では簡単にしか触れられていないが、株式交換比率の算定にあたっては東京鋼鐵が三菱UFJ証券を使っており、買収者である大阪製鉄のメインバンクが三菱東京UFJ銀行であることを考慮すれば、同証券が独立した第三者であるとは見做しにくいとキャロン氏は指摘している。
また、記事によれば会社間で合意した買収を株主が阻止した例は過去に無いらしいから、買収を検討している経営者には大きなプレッシャーとなるだろう。

ということで、この記事は良くまとまっていると思うので、興味がある方は是非読んでみてください。(写真はNikkei Netから)

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このキャロン氏率いる投資会社の名前は「いちごアセットマネジメント」(いちごAM)、同社が運用するファンド名は「イチゴジャパンファンドエー」(いちごファンド)と、何ともかわいい。
因みに、「いちご」とは「苺」ではなく「一期一会」が由来とのこと。
以前、恋愛ゲーム「ときめきメモリアル」からの収益を収入源としたSPC「ときめきカンパニー」というのがあって、それと同じような部類の会社かと最初は思ったけど、どうやら違うらしい。

この記事を見ていたら何故かいちごAMにハマッてしまい仕事そっちのけで色々調べていたら、文芸春秋に掲載されたキャロン氏の記事が出てきた。
彼は幼少期に3年ほど日本に住んでいたのをはじめ、インターンや大学院生としても日本に在住し、通算17年間日本に住んでいる。
いちごAMを設立する前は日本のモルスタで働いていたので、僕の友人で彼を知っている人がいるかもしれない。

彼の記事の中でちょっと面白かった部分をご紹介。

社会全体で常にエクセレンスをめざす。自分たちは気がついていないかもしれませんが、これはとても明白な素晴らしい利点です。そして、日本社会の最大の強みは、「一般人」です。日本には世界一の「一般人」がいますよ。米国のエリート教育はすごいと思いますが、エリートは一部の人間だけです。日本には優れた一般の人々が大勢いて、いつだって一生懸命。日本は健全な社会だと実感します。米国は貧富の差が激しいですから、それこそ健康保険にも加入していないような人々がたくさんいます。日本には最低保障、セイフティーネットがあります。豊かな社会なのです。
最近日本では格差が云々という話をよくしているみたいだけど、やはり物事は一長一短だなと再認識させられる。
日本の社会主義的な側面は国家成長の阻害要因になっていると思うけど、資本主義社会には上記のような負の側面があるのも事実。

世界一の一般人がいる総中流社会の日本と、ゲイツやジョブズやペイジやブリンを輩出する格差社会のアメリカ、結局は着目するポイントによって良し悪しの判断が分かれるので、永遠に議論されるテーマなのかもしれない。
なお、格差を悪者扱いしている人達が永田町に沢山いるらしいけど、努力が報われにくい総中流社会では優秀な人(青色発光ダイオードの中村教授など)ほど国外へ脱出するインセンティブが働く、言い換えれば中途半端な人だけが国内に残る可能性がある、ということを忘れないで欲しい。


一方、彼はこんなことも述べている。

これからは、労働力不足と高齢化が問題になってきますね。どうしたら豊かな社会を維持できるかと考えると、やはりリスクテイクするべきだと思います。これまでの「ロー・リスク、ロー・リターン」ではなく、これからは「ミディアム・リスク、ミディアム・リターン」ぐらいをめざす。それが二極化現象のバランスを取り、階級社会を免れるキーになると思います。そして、リスクを負うことができる人たちを「よくやった」と評価できる社会にならなければいけない。そうすれば、日本の未来は明るいと思います。
なんだ、そんな彼も日本は格差社会になると確信し、格差の中で勝ち組になることを推奨しているわけね。
字面通りに読むと「全員がミディアムリスクを取って全員が勝ち組に」となるんだろうけど、そんなことが不可能なのは彼も分かっているはず。
だから、リスク・リターンの前に敢えて「ミディアム」とつけたのは、米国のような極端な格差社会になって欲しくないな、という願望だろうか。
うん、この部分に関しては僕も賛成。


この部分は爆笑してしまった。

こんなこと言っていいのかわかりませんが、日本人はルール好きだと思うことがあります。私の知人でお坊さんになった米国人が、ある時、近所の区営プールに行きました。お坊さんですから彼の頭はツルツル頭。それなのに受付で「帽子は?」と呼び止められました。そのプールでは、スイミングキャップを着用しなくてはならないというルールがあったからです。でも、キャップをするのは、そもそも何のためなのかということですよね。とにかく「ルールだから駄目」と言われびっくりしたそうです。
ははは、おっしゃる通りでございます。
ルールの運用に遊びが無い、各人が状況に応じて判断できない・・・前者については多少の良い面もあるとは思うけど、こうやって書かれると日本人として恥ずかしい感じがする。
以前に宗教のところでも書いた「原理原則(判断の軸)が無い」という歴史的背景も影響しているんだろうな。

先日、とある手続きのために日本企業に電話した時、応対してくれた若い女性の柔軟性の無さに失望した。
僕は海外から特殊な手続きをしようとしているにもかかわらず、こちらの説明もロクに聞かずに日本国内顧客向けのマニュアル通りの説明を繰り返すだけ。
僕が何度も「海外に住んでいる」と言っているにもかかわらず、その女性は「そのような場合は店頭にお越しいただいて・・・」って何だよ!

大丈夫か、ニッポン。


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WSJの記事
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by nycyn | 2007-02-24 14:54 | 雑感
インド

この週末は風邪でダウンしていたので、時間つぶしに日系ビデオ屋で借りたビデオを見たりしていた。
その中に、1月末にNHKで放送された「インドの衝撃」というのがあった。

インドの経済成長については今に始まったことじゃないし、メディアでの紹介や本も沢山出ているけど、映像で見ると改めて「すげーなー」と思ってしまう。
やはりドキュメンタリーを作らせたら民法よりNHKの方が上手かも。

この番組は①頭脳パワー、②消費、③政治、の3回に分けられていて、僕は①と②しか見なかったけど、十分に楽しむことが出来た。

①の頭脳パワーではインドの教育方針を紹介。
例えば、小学校では九九のような暗記に加えて徹底的な暗算の訓練をしたり、「333×333」と「33333×33333」の二つの式から得られる答えに一定の法則があることを教えた後、他の計算式にも何か法則がないかを生徒自身に考えさせたりする、といったような、暗記だけではない独創性を伸ばす教育をしているのが印象的だった。

また、インド最難関のインド工科大学(IIT)についても詳しく紹介。
頭脳大国を目指す政府の援助を受けているため、学費は年間7万円と格安。
ここでも生徒に徹底的に考えさせる訓練をし、何も無いところから新しいモノを作り出す独創性を伸ばす教育をしているそうだ。
紹介されていた現役学生は、授業以外の時間に10時間勉強をしているとのこと。
月に何回大学に行ったかな、と考えたりしていた僕の大学時代とは大違いだ。

このIITの合格率は60倍と世界で最も競争率が高い大学らしい。
IITを卒業すれば世界中のTech系企業や金融機関から採用の声がかかり、初任給は1千万円にも上るため、IITの人気は増すばかり。

番組で紹介されていた受験生は貧しい農村の出身で、一家の現金収入は5万円、IITの受験費用3千円は何とか用意して学費は学生ローンを利用する予定。
彼の家族が属するのは500人程度の小さな農村で、小学校しかなく中学校以上は無いため、彼は毎日2時間かけて隣の村の中学校まで通っていた。
だから、彼はIITに合格・卒業して十分な収入が得られたら、村に中学校を建てるつもりらしい。
彼は家族だけではなく村全体の期待を背負って受験しているため、ものすごいプレッシャーと戦いながらひたすら勉強に明け暮れる毎日を送っている。

こうした教育を受けて育ったインド人ビジネスマンは世界各国で活躍し、NASAやMicrosoftなどもインド人の頭脳なくしては事業が成り立たないところまで来ているらしい。


②の消費については①ほど面白くは無かったけど、インド人の嗜好が変わってきていることを紹介していた。
経済成長に伴ってゆとりのある家庭が増加し、大型ショッピングモールの建設が相次いでいるとのこと。
町の貧しい市場は肉や魚にハエがたかり売り物の上を猫が歩くような衛生状態だが、豊かになったインド人は先進国のような清潔な商品を求めるようになった。
また、以前はふくよかな女性が好まれる傾向にあったが、最近では細身の女性に人気が集まるようになり、ダイエットに関する広告も見られるようになってきた。
これに対して、「モノは無くても心は豊か」であることの重要性を説いた建国の父ガンジーの言葉を引用し、最近の急速な欧米化に対して懸念の声を上げる人達もいるらしい。
これは、どの国も先進国になる過程で経験することだろう。


ここまで見ると、多くの人が「貧富の差が激しくなって社会問題を引き起こすのでは」と思うだろうが、実際はどうなんだろう。
例えば、十数年前までは共産党指導の下で(形式的には)格差の少なかった中国が市場経済に移行して以来、格差問題が深刻さを増し、電力不足問題や公害、共産党の指導力低下などと併せて「危なっかしさ」を感じさせるのに対し、インドにはあまりそうした雰囲気を感じない気がする。
インドはカースト制度の下で昔から格差が存在していたので、経済発展に伴って格差が拡大しても、ある意味で「格差慣れ」しているのではないか、とも思ったりする。
まあ、そんなにインドについて詳しく知っているわけじゃないので実態は良く分からないが、インドが世界経済の中で存在感を増していくことは間違いないだろう。


インド人は僕が通う大学にも沢山いるんだけど、分かりやすい特徴は良くしゃべること。
先週の金曜日に1時間空き時間があったので、使っていない教室で次の授業の予習をしていたら、その間じゅうずーっとインド人はしゃべり続けていた。(誰も聞いていなかったけど)
番組の中である企業の新人研修の模様を映していたんだけど、教官みたいな人が「我々インド人は会話の中に少しでも沈黙があると何かしゃべろうとするけど、営業でこれをやってはいけません。お客はその間に色々と考え事をしているので、その時間を奪ってはいけません。お客が声に出さない心の声に耳を傾けることが成功の秘訣です。」と教えていたのが印象的だった。
インド人、やはりそうなのか。

また、インド人といえばITに強い。
番組でも幼い頃からパソコンスキルを向上させるプログラムを導入し、IITを始めとする大学で数学・化学・物理のスペシャリストとなったインド人の頭脳がソフトウェアの世界を中心に活躍しているとのこと。
僕なんか初めてキーボードに触ったのが入社してからだから、彼らにその分野で叶うわけないんだよな。


そんな「インドすげー」感につつまれた後に日本のニュースを見たら、こんなのがあった。
先生、パソコンできますか・文科省が自己評価表作成
文部科学省は19日までに、小中高校の教員が授業でパソコンやインターネットなどが活用できているかどうかを、自己評価するチェックリストを作成した。
パソコンやインターネットを使い、分かりやすい授業をするため、教員が必要とされる指導力の基準を定めたもの。
評価は「わりにできる」「ややできる」「あまりできない」「ほとんどできない」の4段階で行う。
(中略)
小学校版と中学・高校版の2種類があり、「児童がワープロソフトで文章にまとめることを指導する」「生徒がネット犯罪の危険性を理解するよう指導する」など、各18項目で構成。

「わりに」って何だよ、「わりに」って。(しかも最上級)
パソコンがあまり出来ないことを前提にやっていないか、これ。
1世紀たっても日本はIT分野でインドには勝てないだろうな。。。


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by nycyn | 2007-02-20 14:10 | 雑感
iPod禁止?

横断歩道でのiPodや携帯電話の使用を禁止する法案が検討されているらしい。
この記事によると、
iPodで音楽を聴きながら歩いていた男性が交通事故で死亡したことがきっかけ。
法案の内容は、主要都市の路上を横断する際のiPod・携帯電話・ゲームボーイなどの電子機器の使用を禁止するというもの。(罰則付き)
電子機器の使用中はスリや強盗に会いやすくなると警告している都市もあるが、本当に危ないのは交通事故である。
音楽を聴く人だけではなく、ウォールストリートのブラックベリー中毒者もこの法案に不満を持つだろう。
とのこと。

まあ、法案が成立することは無いんだろうけど、仮に成立したら暴動が起きるんじゃないか、と思うほど「中毒者」は沢山いる。
通勤時に周りを見ると、恐らく3人に1人くらいは何らかの電子機器を使いながら歩いているという感じで、これは日本とあまり変わらないんだろうけど、ヘッドセットを使って電話している人が多いのが日本との違い。
僕は殆ど携帯で通話はしないので良く分からないけど、あれだけ話しているとヘッドセットでも使わないと手が疲れてしまうのかもしれない。

アメリカの携帯はメールよりも通話の方が多く使われている気がするけど、日本はメールの方が多かったっけ。
日本にいた頃、電車の7人掛けシートに座っている7人全員がメールしているのを見た時はちょっと気持ち悪かった。
アメリカ人は大声で電話、日本人は下を向いてピコピコとメール・・・国民性もあるのかな。

因みに、僕は携帯メールが嫌いなので日本でもアメリカでもあまり使っていない。
たぶんキーボード入力は速い方なので、キーボードと携帯の入力スピードの差に耐えられず、携帯だと短くてそっけない文章になりがち。
使わないから上達するわけもなく、「お」を入力したいのに「あ、い、う、え、お、ぁ」と行きすぎてしまい、最初からやり直したりしているうちに何を入力したかったのか忘れてしまうことも多々・・・

でも、今はアパート・会社・大学・飲み屋?が狭い範囲にあるので携帯メールを使わなくても別に困らないけど、日本では携帯メールは必須だよね。
ということは、帰国したら携帯メール入力の練習をしなきゃいけないのかな・・・嫌だ。
ブラックベリーやスマートフォンが日本でもっと普及することを期待しよう。


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by nycyn | 2007-02-09 14:22 | 雑感
ハートカクテル

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高校の頃、ハートカクテルというマンガをよく読んでいた。
30歳前後の男女を描いた4ページ読みきりのマンガで、「多忙な男、待たされる女」という設定が多く、ちょっとキザなセリフで終わる。
ストーリーは全然面白くないんだけど、何故か何度も読み返していた。


今から考えてみると、僕はこのマンガの絵が好きだったんだと思う。
マンガの設定は日本なのに街並みや建物の描写は外国風で、頻繁に登場するビールもクアーズなど海外のものだった。


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当時高校生だった僕は、作者の描く異国風の世界に漠然とした憧れを抱いていた。
大学受験を控えた時期だったため、大学に入ったらハートカクテルに登場するようなおしゃれな街に住み、高い天井で大きなファンが回る生活感の無い部屋でクアーズを飲みながら・・・、と理想の一人暮らしをイメージしては授業に集中できない日々を送っていた。


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でも、実際に入学した大学周辺の街並みや予算の制約などから現実を知り、そんな夢はどこか遠くへ行ってしまった。
社会人になってからも、バタバタした生活の中でハートカクテルのことを思い出す事は無かった。


3年前からNYに住んでいるが、前半は仕事と受験勉強が中心の毎日だったので、高校時代に憧れた異国での生活を楽しむ余裕は無かった。
その後、仕事や大学に慣れてきた昨年の半ば頃からようやく余裕が出てきたことに加え、ブログを始めたことにより写真を通じてNY生活を実感するようになってきていた。


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きっかけは11月8日付エントリーのこの写真だった。

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ここで写真を撮ったのは初めてのはずなのに、このシーンをどこかで見たことがあるような気がしていた。
その後数日たって、ある時ふとハートカクテルのことを思い出した。

すると何としてもハートカクテルを読みたくなり、でも既に絶版となって販売していないので、ヤフー・オークションで落札したものを日本から送ってもらった。

懐かしさに浸りながらパラパラとページをめくっていくと、「お目当てのページ」に辿り着いた。


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上の写真を撮ろうと思った時、もしかしたら記憶の片隅にこの絵のイメージがあったのかもしれない。
そういう目でハートカクテルを読んでいると、僕が撮る写真の構図にこのマンガが少なからず影響を与えている気がしてくる。


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ハートカクテルを15年ぶりに読んで、高校時代の懐かしい記憶と当時の海外生活のイメージがよみがえってきた。

いま僕はハートカクテルの主人公と同世代となり、マンガに登場するような風景を日常的に目にする生活を送っている。
それは高校時代に憧れた生活のイメージとは少し違うけど、ハートカクテル・マインドを刺激する風景に囲まれた今の生活をもっと楽しみたいと思った。


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by nycyn | 2007-02-02 14:05 | 雑感
ワークライフブレンド

先日のホワイトカラーエグゼンプションに関連して、ワークライフバランスについてのお話。
ちょっと前になるけど、イギリスの新聞タイムズにこんな記事があった。(記事の全文は最後)

将来、(仕事を完全に離れて)私生活を営める場所は無くなるだろう。
「ワークライフバランス」というコンセプトは、仕事と私生活の境界線が曖昧になるという意味で「ワークライフブレンド」という言葉に置き換えられるだろう。
ボスにとっては、部下がどこに居て何をしていても捕まえられるということで、ウェルカムな話。
通勤中に(電話)会議をしたり仕事関係のポッドキャストを聞くなど、通勤時間を有効活用することで多少は緩和されるだろう。

もう一つ、同じくタイムズからワークライフバランスに関する記事。

休暇中・・・
56%の人がオフィスにコンタクトする
40%の人が仕事関係のレポートを読む
38%の人がノートPCで会社のメールをチェックする
(調査対象はイギリス人だと思われる。)

この記事には「プールサイドでピナコラーダ(南国リゾートの飲物)を飲みながら会社のレポートやメールをチェック」と書いてあるんだけど、僕は先月行ったアルーバでまさにコレをやっていたので、苦笑いしてしまった。。。

日本に比べてワークライフバランスが確保されていると言われる欧米だけど、これを見る限りはあまり変わらないという印象。
もちろん、地域や会社によってバラツキはあるだろうけど、NY(ウォールストリート)やロンドン(シティ)のような場所におけるワークライフバランスの問題は東京と同じようなものかもしれない。
いや、最近の日本は一部の企業で働き過ぎの緩和傾向にあるので、実は日本の方がバランスが取れているのかも。
まあ、報酬の水準を考えれば、NYやロンドンの方が忙しくてもいいんだろうけど。


記事にもチョロっと出てくるけど、僕が知っているNYのビジネス(ウー)マンは殆ど全員がブラックベリー(会社のメールやワード・エクセルファイルの閲覧・編集が出来る携帯電話)を持っている。
これがあると、酒を飲んでいようがゴルフをしていようが、電話がかかってくるのははもちろんのこと、会社に届いたメールもチェックできてしまう(チェックせざるを得ない)。
見ないフリをしてもいいんだろうけど、一部の企業では社員に強制的に持たせているらしいので、シカトしていると後で面倒なことになるのは間違いない。
しかも、日本と違ってこっちの電話はアメリカだけじゃなくヨーロッパや南米でも使えるので、国外に出ても逃げられない。
まさにユビキタスだ。

大学のクラスメートもほぼ全員がブラックベリーを持っていて、授業中もぶぃーんというメール着信の音が数分に1回はどこかから聞こえてくるほど。
特に金曜日はみんな仕事を休んできているので、ぶぃーん→机の下でメールを確認・返信→ぶぃーん→舌打ちをして教室から出て行く→外で電話、という光景を頻繁に目にする。
仲良くしているトレーダーのスイス人は休み時間の度に会社に電話して部下に指示を送っているらしく、休み時間中にまともに会話した記憶がない。

日本でも昨年ようやくブラックベリーが法人向けに導入され、現在は出来ない日本語入力も年内には可能になるらしい。
まだ導入している企業は少ないらしいけど、そのうちアメリカと同じようになっていくのかな。
ワークライフブレンド・・・数年後の流行語大賞になったりしなければいいけどね。


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The Timesの記事
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by nycyn | 2007-01-30 13:39 | 雑感
ホワイトカラーエグゼンプション

少し前まで頻繁にメディアに登場していたホワイトカラーエグゼンプション(WCE)に関連して、こんなものを見つけた。

1/18 経済財政諮問会議 議事要旨
丹羽宇一郎伊藤忠商事株式会社取締役会長の発言
ホワイトカラーエグゼンプションについては、どうも風潮として経営者が悪人でいつもいじめているようにとられがちだが、そういうことではない。ホワイトカラーエグゼンプションの本当の趣旨は、大手企業の大部分がそうだが、若い人でも、残業代は要らないから仕事をもっと早くスキルを身につけてやりたい、土日でも残業代は要らないから出社したいという人がたくさんいる。しかし、経営者がしてもらっては困ると言っている。なぜなら出社されると残業代を全部払わなければいけない。家で仕事をするよりも、会社に来て色々な資料もあるし、これで自分が人よりも早く仕事を覚えて仕事をしたいんだと。それを今は仕事をするなと言っている。ホワイトカラーエグゼンプションの制度がないからだ。だから、少なくとも土日だけはホワイトカラーエグゼンプションで、残業代は要らないから仕事をさせてくださいという人に、仕事をするなという経済の仕組みというのは実におかしい。これを何とかしてあげたい。その代わり、ホワイトカラーエグゼンプションの導入で過労死など色々な問題が起きては困る。それは内部告発制度、禁固刑を含む罰則をつくることで対応する。制度には光と影が両方あるわけだが、影の部分だけを取り上げて、これはけしからんという議論はいかがなものか。やはり日本の産業を本当に強くしていくためには、そういう制度も私は必要だと思う。その代わりセーフティネットをやっていけばいいのではないか。経営者として、生産性の向上や産業の発展のためにも、過労死など色々な問題への対策を考えず、つぶされるのは非常に残念である。外国、特にアメリカではそういう制度があり、どんどん働きたい人は働かせている。日本ではできないのは実におかしい。ホワイトカラーエグゼンプションよりも自由労働時間制がいいのではないかと思う。

丹羽さんの発言「残業すると残業代を払わなければならない、だから残業させない」とは、下の図の「A」のことだろう。
一方、WCEとは、一定条件の下で「B」(残業しても残業代を払わない)が法的に可能になるというもの。
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ちょっと前までは違法であるBが当たり前のように行われていたけど、最近は労基署がうるさいから大企業を中心にAになりつつある。
尤も、現在も一部の企業ではBが行われているんだろうけど・・・。

発言にある「残業代は要らないから出社したい」という人が「たくさんいる」かどうかは疑問だけど、「多少は」いると思う。
実際、僕も仕事が終わらなくて週末に出社したことが何度もあった。
会社のためという意識は全く無いんだけど、自分のプライドとして担当した仕事を満足のいく形で仕上げられないのは好きじゃない。
だから、丹羽さんが言っていることもある程度は分かる。

一方、「残業代を払わなければならない」との発言はどうなんだろう。
この発言を聞いたら、「残業時間に応じて残業代を払えばいいじゃん」(=「C」)と皆が思うはず。
会社にとって必要な仕事を土日にしているのであれば、当然残業代を払うべきだろう。

丹羽さんもこんな事は十分認識しているはず。
だとすると、彼の本音は「一部の企業が違法であるBをやって人件費を抑制する一方、法律を守ってAを徹底している企業や、残業代を払っているCの企業が競走上の不利益を被ってはかなわん」ということなのかもしれない。
でも、諮問会議の場で「違法行為をやっている企業がある」とは言えないだろうから、上記のような一見「はぁ?」というような内容の発言になったのではないか。

しかし、上のA~Cどれを選択しても必ず問題は発生するのである。
A:まさに社会主義(=現状)、企業(日本)の競争力低下
B:サービス残業を強制される(発言中にある内部告発等の対策がワークするはずなし)
C:残業代欲しさにムダ残業をする奴が出てくる

ということで、A~Cのどれが良いかは分からないんだけど、良し悪しは企業によって異なってくるんだろう。


なお、WCEの前提となっている「ホワイトカラーの報酬は労働時間比例では決められない」との考え方は僕も賛成。
単純作業の労働者とは違うので、時間では無く成果に応じて報酬が決まるべきだと思う。

でも、ここで問題となるのが「成果」の測り方。
営業のように成果が数字で測れる職種はいいだろうけど、企画系の仕事などはどうするのか。
数字になって表れない以上、上司が「成果」を評価するしかないだろう。
じゃあ、上司の評価が公正では無かったらどうするのか・・・
外資系投資銀行などでは上司がボーナスプールの多くをぶんどってしまい、部下には十分なボーナスが分配されない、なんて話もちらほら聞くし・・・

とまあ、どこまで行っても問題が全て解決されることは無いだろう。

そんな中、僕が思いつく改善策は、360度評価(部下も上司の「評価」を行う)を導入すること。
現状、多くの企業では上司が部下から評価されることは無いけど、これは上層部へのゴマすり、部下への不公平な評価につながりやすい。
だから、上司の評価のうち一部分(例えば3割)を部下による評価で決定すべきだと思う。
こうすることで、上司も適度な緊張感を持って部下と接することになり、評価への納得感が高まって部下の士気も高まるだろう。
もちろん、これが万能薬とは決して思わないし、巷では副作用の存在も指摘されているけど、個人的にはメリットの方が多いと思う。

僕は入社直後から事ある度に360度評価導入の必要性を人事部に言って来たけど、反応はいつも同じで「部下のご機嫌取りをする上司が増える」というもの。
いやいや、部下による評価は全体の一部(例えば3割)なんだから、そんな極端な事にはつながらないだろう。
そんな反論をするなら、「現状は(評価の100%を握っている)上司のご機嫌取りをする奴ばかり」ということを認めるようなものだぞ。

そもそも、(日系)企業は「上司の判断・評価は常に正しい、上司は指導者であるべき、部下はロクなことを考えないから上司の判断に従ってその評価を受け入れろ」という前提を置きすぎだと思う。
これだけ経済が複雑化してくれば、「あらゆる場面で上司が正しい」なんてことはあり得ない。
この辺りが分かっている上司の評価は納得感が高く部下からの信頼も厚いんだけど、分かっていない上司はその逆で、360度評価導入により不利益を被る後者が多数派かつ反対派なのである。

という反論を人事部にすると決まって嫌な顔をされるので、それ以上は突っ込んで言わないんだけど、真剣に検討すべきだと思う。
360度評価は職位が上に行けば行くほど受け入れ難い制度だということは分かるけど、企業の長期的な発展を考えれば、若手の活性化と無能な上司の排除につながる同制度を導入する価値はあると思うんだけどな。


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by nycyn | 2007-01-28 14:02 | 雑感
世界の宗教と戦争講座 ⑤

終わりにしたはずのこのシリーズだけど、ある人から「日本人にとって最も馴染みのある仏教を書かないでどうする!」というクレームがあったので、もう一回だけ書くことにした。

過去分はこちら: ①和の精神②ユダヤ教③キリスト教④イスラム教


5.仏教

仏教の特徴は、根拠教典が無いことである。
ユダヤ教・キリスト教には聖書、イスラム教にはコーランがあり、いくつの宗派に分かれても教典は同じであるのに対し、仏教では各宗派共通の教典が無いのである。
従って、他の宗教から見ると、仏教には統一的な思想が無いため、非常に分かりにくい宗教となっている。

一方、この統一性の無さにより、仏教の世界では宗教戦争が起きていない。
キリスト教やイスラム教の世界では、唯一絶対の神やその教えの存在により、解釈をねじ曲げたとか神を冒涜したという発想から宗教戦争に至ってきたのである。
確かに、「イスラム教は恐い、仏教は穏やか」という漠然としたイメージを持っていた。
これは学校教育の影響も大いにあると思うけど、あながち間違いでは無いと思う。


仏教は釈迦(ゴーダマ・シッダルタ)が開祖であるが、彼は他の宗教のようにこと細かくやるべきことを記さなかった。
キリスト教も仏教も苦しみから救われることを目的としている点では同じだが、聖書には「救われ方」が細かく記されているのに対し、仏教では「悟りを開きなさい」と書かれているだけで、そのために何をすれば良いかが細かくは書かれていない。
また、唯一絶対の神がいないことも仏教の特徴であり、こうした特長が多くの宗派を可能としてきたのである。
これは先日書いた「和の精神」と同じ。


仏教を大きく二つに分けると、上座部(小乗)仏教と大乗仏教に分かれる。
釈迦の教えは、人間が四苦(生老病死)から逃れるためには煩悩を捨て、世の無常を悟り、仏になることだとしている。
つまり、釈迦は「救われたければ出家して仏になりなさい」と説いており、これが上座部仏教の考え方。
これに対し、「妻も財産も捨てて出家した人でないと救われないのか」という批判が生まれ、在家の人でも救われるようにという考え方に基づいているのが大乗仏教である。
大乗仏教では、偉大な仏(悟りを開いた人、お坊さん)がいて、その人を信仰してお祈りすれば救われる、という考え方なのである。

日本では、もともと上座部的な仏教が伝わっていたが、最澄が中国から大乗仏教を持ってきて定着させようとした。
鎌倉時代になると、この大乗仏教が民衆に定着してきて、日本的な大乗仏教が展開され、その典型的なものが浄土宗である。
大乗仏教である浄土宗は、出家して厳しい生活に耐えることを人々に求めるのではなく、出家して悟りを開くのは一部の僧だけであり、民衆には阿弥陀如来への信仰を促し、それによって救われると説いた。
この思想はどこかで聞いたことがある気が・・・、キリスト教と同じじゃないか。
やはり、人間は易きに付くんだねえ。


そして、日本的な仏教のベースとなっているのが、親鸞による浄土真宗である。
親鸞はそれまでのルールを破り、結婚してしまった。
本来、(上座部)仏教では僧は出家しなければならないが、阿弥陀如来の力に頼るのであれば、出家してもしなくても同じであると解釈したのである。
また、民衆レベルで言えば、法然は信じる「回数」が重要であるとし、親鸞は回数ではなく「信じること」が重要であるとし、一遍に至っては「信じることすら要らない」と説いた。
一遍によれば、阿弥陀如来が救ってくれると言っているのだから、信じる人と信じない人が差別されることは無い、としたのである。
ここまで来ると、釈迦の教えとは全く異なるものになっている。
従って、外国の宗教に関する本では、日本の仏教を「大乗の大乗」と表現し、インスタント仏教とまで言っている学者もいるらしい。
統一的な教典を持つ宗教の人から見れば、確かに日本の仏教は宗教に見えないだろう。
このような統一性の無さが柔軟性につながり争いを起こさずに済んできたんだろうから、個人的には「別にいいんじゃない」と思うけど、他国から見れば「ポリシーの無さ」と見えるのかもしれない。


その後、徳川家康が檀家制度をつくり、日本人は必ずどこかのお寺(宗派)の信者になることを求めた。
本来、宗教は個人が自由に選択できるものであるが、檀家制度の下では人は生まれながらにして宗派が決められており、これは一生変えられないこととされた。
従って、お坊さんにしてみれば、自分がどのような僧であれ、堕落していようがお金ばかり要求しようが信徒は絶対に減らないわけで、これが日本の仏教の堕落を招いた。

堕落の典型的な例が僧侶の妻帯であり、教義の上で僧侶の妻帯を認めているのは浄土真宗だけであるが、実際は妻帯を認めていない他の宗派でも僧侶が結婚しているのである。
明治政府は「お坊さんも結婚して良い」という許可を与えたのだが、本来僧侶の妻帯を禁じている宗派の信者であれば反対や大議論が起きてもおかしくないものの、なし崩し的に僧侶が結婚するようになった、というのが何とも日本的である。

従って、日本の仏教はかなり特異なものであり、「私は無宗教だが、私の家は浄土宗です」という発言をする人がいるが、これは檀家制度の名残りなのである。
ここでも易きに付く日本人の姿が・・・離婚したいがために新しい宗派(英国国教会)を作ったイギリスの王様と同じだな。
僕が以前住んでいたところでは、坊さんがくわえタバコで原チャリに乗っている姿をよく見かけたし、バイトしていた居酒屋では頻繁に坊さんが飲んだくれていた。
坊さんに対しては「高貴、清貧、質実」といったイメージを期待してしまうんだけど、こうした歴史を踏まえれば、そんなことを期待するのは酷なようだ。


日本人は「霊」の存在を信じており、「死んだ人の悪口を言ってはいけない」というのも霊の存在を意識してのことである。
一方、仏教では死後は別のものに生まれ変わるという輪廻転生の思想に基づいており、「人間が死んだ後に肉体とは離れた霊が残る」という発想は無い。
ところが、仏教が日本に伝わった当時、日本の天皇家は仏教に対して霊の鎮魂を期待してしまった。
従って、仏教の世界では存在しないはずの霊を仏教の力で鎮めるという、極めて特異なものになってしまっている。
へえー、そうなんだ。
僕を含めてこういう背景を知らない人が多いから、無知につけ込んで商売する葬儀ビジネスが成立するんだろう。
葬儀と言えば、過去に読んだ本の中で葬儀屋を悪く書いているものはあっても、肯定的に書いているものは殆ど無かった気がする。
人の悲しみにつけ込んで5百万円の葬儀契約を結ばされるとか、僧侶へのお布施の一部は葬儀屋に流れている場合もあるという話は本当らしいし、戒名はパソコンソフトで作成しているといった噂まである。

ある本によれば、病院と葬儀屋は結託していて、葬儀屋は病院スタッフを頻繁に接待する見返りに、病院で患者が死亡した際はすぐにその葬儀屋へ連絡するように依頼しているらしい。
先日、リリー・フランキー氏の「東京タワー」を読んでいたら、霊安室にいつの間にか葬儀屋が紛れ込んでいて、基本料金にオプションやら何やらを追加されて、結局高額を支払うことになったと書いてあった。

遺族にしてみれば、高額な葬儀プランを勧められながら安いプランを選択すると死者に失礼、みたいな考え方に行きついてしまうのかもしれない。
でも、僕は霊の存在は全く信じないし、こういうセコイ葬儀ビジネスはキリスト教の免罪符と同じような気がして加担するのは嫌だから、少なくとも僕が死んだときは最低料金の葬儀プランにしてもらおうと思っている。(←気が早い。。)

なお、参入障壁の高い葬儀ビジネスにも外資の波は押し寄せており、ムダをカットした明朗会計をモットーとする外資系の葬儀屋もあるらしい。


仏教の非暴力主義を貫いているのがチベットである。
チベットは本来独立国だが、中国は第二次大戦後にチベットに武力侵攻し、中国の自治区としてしまった。
中国には中華思想があり、中国は世界の中心、他国は全て野蛮人であり、領土を拡大することで国が豊かになるという思想を持っている。(実際は管理コストの方が高くつくことが多いが、中国はこれに気づいていない、或いはプライドが邪魔して引き下がれない。)
だから、中国はチベットの独立性を奪い、「(世界の中心である)中国と同化すれば良いではないか」とチトー政権がユーゴスラビアで行った民族浄化策と同じことを進めている。
ユーゴやアフガンでは民兵を組織して抵抗する道を選択したが、チベットはダライ・ラマの指導の下、あくまで非暴力に徹した抵抗を行っている。
日本を含め、他国はもっとチベットの態度を尊重し、中国を批判していくべきである。

一方、チベットは本来勇猛果敢な国であったが、仏教により国力が落ちたという見方もある。
他国であれば政治家や軍人になる人達が僧侶の道を選び、僧侶は結婚できないことから子孫を残さない、という問題である。
これが中国による侵略を許したという批判もあり、宗教の一側面として留意する必要がある。
作者の中国嫌いが顕著に表れている部分なのでなるべく中立的な表現を使ったけど、書いている内容はその通りだと思う。
米国を始めとして中国の人権無視を非難する国はあるけど、現在の驚異的な経済成長を考えると、そこまで強い批判は出来ないんだろう。
一方、多くの国が本音では中華思想を嫌っているようなので、現在の経済成長がストップした際は各国による中国批判が強まるのではないかと思う。

また、敬虔な仏教徒であるがゆえに中国の侵略を許したとすれば、現代社会における仏教の不完全性と見る事もできるだろう。
本来は日本を含めた他国が中国を牽制すべきなんだろうけど、上記の通り難しいのも良く分かる。


* * * * * * *

日本の仏教は特殊だということが良く分かった。
「和の精神」は宗教に基づいているわけでは無いらしいけど、やはり仏教も日本人の価値観に少なからず影響を与えている気がする。

「宗教を信じないのであれば、何を拠り所(価値観)にして行動しているのか分からない」と考えているアメリカ人がいる事はキリスト教のところで書いたけど、日本人には宗教とは関係ない道徳・倫理観みたいなものがあると言われている。
例えば、チップという金銭的なインセンティブが無くても全ての顧客に愛想良く対応すべし、というのは欧米には無い思想であり、これを支えているのは仏教とは関係ない道徳・倫理観だと思う。
このことをアメリカ人クラスメートに話したら、「そりゃ理想的だね、アメリカでは絶対にありえない」と言っていた。
尤も、その道徳・倫理観が最近では崩壊してきているという意見も多数あるけど。

また、僕は何の宗教も信じていないけど、最も馴染みがあり身近な宗教は仏教であり、他の宗教に比べると「理解しやすい、どこか安心」と感じるのは日本人として自然なのかもしれない。
一方、他の宗教(特にイスラム教)に基づく考え・行動は日本人にとって理解しがたいかもしれないが、これを非難するのではなく、それぞれの宗教に基づく思想・価値観の中で育った人であればそのような言動に結びつくのが当然である、という理解をする努力が必要だろう。

以上、「世界の宗教と戦争講座」はこれにて(本当に)おしまい。

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by nycyn | 2007-01-17 15:26 | 雑感
ほどほどに

日本では納豆がバカ売れらしい。
テレビで「納豆のイソフラボンにダイエット効果あり」と紹介したのがきっかけで、若い女性を中心にまとめ買いをしているとのこと。

納豆と言えば、日本にいる頃「あるある大事典」を見ていたら、「納豆には血液をサラサラにする効果がある」とも言っていた。
僕は納豆が苦手なのでどんな効果があろうと食べたくないけど、血液がドロドロしている人がこの番組を見て毎日のように納豆を食べるようになったという話をテレビで見たこともある。

ところが、先日見つけたニュースだと、ある医師がこの「血液サラサラ効果」効果に反論していた。
反論の内容は、「納豆に含まれるナットウキナーゼと血液を「試験管の中で」混合すれば血栓を溶かす作用があるけれど、人間はナットウキナーゼを腸から吸収できないから納豆を食べても血液はサラサラにならない」というもの。
また、もしナットウキナーゼを点滴したら、血栓だけではなく赤血球など他のたんぱく質も分解してしまう「かもしれない」、とのこと。
この医師がテレビ局に問い合わせたところ、フジテレビは回答すらせず、同じような内容を放送した他局に問い合わせると放送内容を否定するような回答が返ってきたらしい。
ということは、この医師の「放送内容は間違っている」という主張をテレビ局は認識しているということなのかもしれない。
さらに納豆に関しては、イソフラボンの過剰摂取はガンにつながる「可能性もある」という意見もある。

また、食品つながりで言えば、随分前のニュースだけど、「脂肪がつきにくい油」として有名なエコナクッキングオイルの主成分が発ガンを促進する「かもしれない」というものもあった。
国立がんセンター研究所の実験ではこれを裏付ける結果も出ているが、発売元の花王はこの実験結果が「中間報告」であり最終報告ではないことを理由に販売を継続している。
こうした事実を知らず、健康に良いと思ってエコナクッキングオイルをせっせと買い続けている人は少なくないだろう。


こういうニュースを見ると、「日本人はマスコミに左右されすぎなんだよ」という人もいるだろうが、これはアメリカでも大差ないと思う。
アメリカのドリンク類は日本人からするとギョッとするような鮮やかな色のものが多いけど、あるアメリカ人にこれを聞いたら「ビタミンCは黄色いものだと勘違いしているアメリカ人が結構な割合でいて、彼らは色が付いていないものにはビタミンCが含まれていないと心から思っているんだよ」と言っていた。
ネタなのか本当なのかは良く分からないけど。。。

多くのアメリカ人は炭酸が大好きで、太りたくない人はダイエットコーラをバケツのようなカップで飲んでいる。
僕のクラスメートも、多い人は1日でダイエットコーラの缶(350ml)を5本くらい飲んでいる。
確かにカロリーは低いかもしれないけど、人工甘味料については健康への悪影響が指摘されている中で、ダイエットコーラがこれと無縁とは思えないんだよね。
もちろん、何か証明された訳じゃないんだけど、あまりに「ダイエット」「ローファット」という言葉につられすぎてはいないか。
スーパーに行けばローファット製品だらけだし、最近はポテトチップスの袋にも「脂肪が付きやすい油は使っていません」という文字がプリントされている。
さらに先日、犬のダイエット薬まで開発されたらしいけど、これにはさすがに疑問を呈するアメリカ人も少なくないらしい。


僕は健康おたくじゃないので詳しい事は良くわからないけど、何事も「ほどほど」がいいんじゃないかと思う。
納豆に痩身効果があるからといってバカ食いするんじゃなくて、普通の食生活の中で少しずつ食べていればいいんじゃないのかな。
また、遺伝子組換え食品や特定の機能を強化した食材など、どこか気持ち悪さを感じてしまうのは僕だけだろうか。

そういえば、ダイエット薬を巡る健康被害のトラブルは日本でもちょくちょく報道されてたな。
女性何人かをハワイへ連れて行って死ぬほど食べさせた後にダイエット薬を飲ませ、「あれだけ食べたのに体重が減った~」とアピールしている番組があったけど、これを見て気持ち悪いと思わずにすばらしい薬だと思ってしまう思考回路は僕には理解できない。
「ダイエットしたい人の気持ちが分かっていない!」というクレームもありそうだけど。。。

エコナクッキングオイルの例もそうだけど、何か良い効果があるとうたっていても、それはあくまで「現時点で分かっている範囲では良い」というだけで、後から「実は健康に悪影響が・・・」というケースもあるはずだ。
僕が小学生の頃は「日光に浴びると発育に良い」なんて言われていたけど、いつの間にか「紫外線を何分以上浴びると皮膚に良くない」なんてことになってたし。

逆に、前述の反論についてもあくまで「現時点では・・・」という理解をすべきだろう。
現在の技術で解明できる範囲で正しいと「思われている」ことが事実であるかのように扱われているけど、本当のところは永遠に分からないのかもしれない。
これは医療でも同じことが言えるらしい。


なお、細かい事を言い出すとキリが無い。
以前「食品の裏側」という本を読んだけど、これを見て危ない食品を避けていたら、コンビニで売っているものは殆ど食べられないことになってしまう。
だからと言って、外で買ったものを食べない生活なんて考えられないから、これを読んだ後も僕は「これはアレとアレが添加されているんだろうな」などと思いながらも外で売っている弁当を食べている。
ただ、コンビニのサラダだけは一生食べたくないな、と思った。

ということで、普通の努力で対応できる範囲で気をつけよう、というのが僕のスタンス。
仮に何かの食品が健康に良いと言う事実が判明しても、そればかりを食べるようなことはしないようにしよう。

極端にストイックな事をすれば生活に支障が出るし、事実だと信じていることが後で覆されることもあるので、やはり何事も「ほどほど」にしておいた方が良さそうだ。


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by nycyn | 2007-01-15 07:08 | 雑感