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ニューヨークの生活、MBA、仕事・・・
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出る杭は打たれるのか
アメリカ人のクラスメートと雑談している時、こんな発言があった。

「あいつが教授に議論をふっかけて教授の見解を否定してたけど、あれってどうかと思うぜ。授業の後で個別にやるならまだしも、みんなの前で、しかも時間が無い中でやられたら教授だって気分が悪いだろう。これであいつがHonor(一番良い成績)を取ることは無いな。」

そうなのか?
こんな事で成績が左右されるのか?
自由な発言、出る杭を歓迎するのがアメリカじゃないのか?

入学当初はそう思っていた。

* * * * *

先日のマーケティングの授業でのこと。
その日のケースは、アメリカのアイスクリームメーカーが北京へ進出して売上拡大を目指す戦略を考えるというもの。
既にハーゲンダッツ等の欧米メーカーが進出している中でどういうポジションを確保するか、ターゲットとなる顧客層、価格、宣伝方法、などを議論する。

クラスには一人だけ中国人がいる。
僕と同じスタディグループの中国人だ。
ケースは中国でのビジネス展開についてだから、僕は彼女の発言に注目していた。

ところが、授業が半分を過ぎた辺りから彼女はずっと手をあげ続けているものの、教授は全然彼女を指名しない。
ついに彼女しか手をあげていない状態になった時、教授は「他の生徒が手をあげていないことを確認してから」彼女に発言の機会を与えた。

彼女の発言はそれまでの議論の流れとは少し違って、もっと根本的な問題についてのもの。
マクドナルドが中国に進出した時の事例を紹介しながら、中国ビジネスではブランドの確立が重要である点に触れ、今回のケースに当てはめるとどうなるか、ということを丁寧に説明した。
僕にとってはそれまでの議論よりもずっと参考になった。
しかし、教授は彼女の発言を「そうね、ありがとう」程度のコメントで流してしまい、自分のスライドに合うような顧客セグメンテーションとかプロモーションの話に戻してしまった。

確かに彼女の発言は授業の流れから若干外れていたが、それは手をあげ続けた彼女を指名しない教授のせいでもある。
何よりも、中国人が中国ビジネスの心得を紹介しているにもかかわらず、恐らく中国に住んだことも無い教授がそれを無視し、中国でのビジネスをアメリカのモデルに当てはめて教えていることに違和感を感じた。
教授が事前に準備してきた授業の流れに合わない意見は排除したいということか。

* * * * *

日本では認められない行儀の悪さや個人主義を背景にした行動が、アメリカでは認められ(黙認され)ている。
これらは表面的で目立つため、「アメリカは出る杭に寛大だ」と以前は思っていた。

しかし、もっと根本的なもの、価値観などについては日本と同じ、或いは日本以上に「出る杭は打たれる、しかも見た目には分からないように打たれる」傾向にあるのでは、と思うようになってきた。

同じような価値観を持つ人は同じ場所に集まる傾向にあり、ビジネススクールはその顕著な例だろう。
さらに、例えば投資銀行(の一部)にはMBAホルダーが多く集まり、ここでも同じような価値観を持つ人のコミュニティが形成されていく。
あるファンド会社のスタッフの略歴を見ていたら、半分以上がハーバードのMBAホルダーかつ同じコンサル会社出身だったこともあった。
単に優秀という理由だけでハーバードのMBAばかりを採用している訳ではないと思う。

こうしたコミュニティに違った価値観を持つ「出る杭」が入るとたたかれるため、「出る杭」は敢えて入ろうとはしないし、コミュニティ側も受け入れない。
これが明確な階級社会を形成していき、異なる階級はお互いを「出る杭」とみなす。
だから、アメリカのコミュニティは日本以上に「似たもの同士の集まり」であり、「出る杭」が打たれないのではなく、「(コミュニティの中では)出る杭の数が少ない」と考えることも出来る。

アメリカには「お約束」となっている行動・発言が多く、コミュニティの中ではこのお約束は共有されている。
だから、このお約束を知らない人がコミュニティ内でお約束に反する言動を行うと、周囲は笑顔を保ちつつも、心の中では「何だアイツ」ということになる。
上記の例では、教授の意見を否定した奴とか中国人がそれにあたるのだろう。


一方、日本では「まだ」アメリカほど明確な階級社会にはなっていないから、アメリカに比べると、色々な価値観の人が一つのコミュニティに属していると思う。
この背景には「日本人である」という共通のアイデンティティがあり、この観点からは日本全体を一つのコミュニティとみなす事も出来る。

したがって、アメリカのコミュニティ内では「出る杭」とみなされない場合でも、日本だと日本全体で「出る杭」かどうかの判定が行われるため、「日本の方が出る杭は打たれやすい」という印象を持つ人がいるんだと思う。
言い換えると、アメリカで自分の属するコミュニティを見つけられれば、その人にとってコミュニティ内での生活は快適であり、「アメリカでは出る杭は打たれない」という印象を持つのだろう。


こうして考えると、日本で「出る杭が打たれる」というのは、「日本人らしくない言動が非難される」と言い換えることが出来ると思う。
「日本人らしさ」とは何なのか、はっきりとは定義できないけど、「出る杭」の判断根拠となる時の「日本人らしさ」が僕はあまり好きではない。

日本にいる頃、僕は「合理的」とか「強引」「冷酷」と一部の人から言われていたけど、僕から見れば彼らは「曖昧」で「結論を先送りする」「口は出すけどリスクを取らない」人たちだった。
でも、人数的には彼らの方が多数派だったから、僕の方が「出る杭」だったのかも。
僕は打たれても打ち返す性格だから、あまり打たれずに済んだけど。


日本とアメリカの「出る杭」、形は違うけど、どっちも打たれているんじゃないかな。


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by nycyn | 2006-06-23 10:08 | 雑感